ドライブマイカー、映画の中の広島に心躍る。丁寧に紡ぐストーリーに涙

映画

前略 家福悠介さま

「音に逢いたいよ…」

あなたが口にしたその言葉が胸に刺さりました。
妻を愛していた。
妻は大切な存在だった。
妻は自分を裏切っていた。
妻を問い詰めたい。
妻が、死んだ。

自分にとって本当に大切な存在を失ってしまった喪失感は、なかなか拭うことはできません。死という最悪の結末となった時、その死の原因はすべて自分にあるのではないかと、その死を背負いながら演劇に没頭することで、ただ時間を過ごす。あなたが見せる自分を押し殺した穏やかな空気感が、あなたの抱える悲しみや悔いが強烈にわたしに迫ってきました。

妻に他の男の影を意識していたときに、絡む現場を目にしてしまう。わたしもその現実を受け入れなくちゃいけないのか、そのために妻を問い詰めた方がいいのか、「オレは君を愛しているのに、どうしてそんなことをするのか」と激しく叱責すべきなのか…、迷った挙句、きっと家福さんと同じように、今手にしている妻との関係を損なったり、失ったりしないように、辛い現実に蓋をして何となく時間をやり過ごすだろう。

音さんが亡くなったことで家福さんが抱え続けている苦しみが、新しく出会ったみさきさんを救うことができました。音さんがめぐり会わせてくれた、縁なのかどうかなんかわかりませんが、大切な人を失った自分が、同じように愛する人を失って苦しむ人を救うことができたことは、生きていなければいけないと強く感じました。目の前にいてくれる家族を、思いっきり愛し続けようと思いました。

「ドライブ・マイ・カー」あらすじ

脚本家である妻の音(霧島れいか)と幸せな日々を過ごしていた舞台俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)だが、妻はある秘密を残したまま突然この世から消える。2年後、悠介はある演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島に向かう。口数の少ない専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)と時間を共有するうちに悠介は、それまで目を向けようとしなかったあることに気づかされる。
(引用:https://www.cinematoday.jp/movie/T0026239

ツライ、それでも生き続ける意味

このブログを読んでいるあなたにも、必ず大切な人がいるでしょう。今、隣でテレビを見て笑っているかもしれませんし、もう二度と会うことはできないのかもしれません。その人のことを思いながら、ひとりで映画を見ると、シーンシーンでいろいろなことを考えてしまうことになります。

いっしょにいる時間が長くなればなるほど、お互い分かり合えることが増えていくのは事実ですが、一方で近くにいる大切な人だからこそ、言えない隠し事も一つや二つ出てくることも事実です。

愛するパートナーが自分が知らない他の人とSEXをしているのを見てしまったとき、どうなるのか。「全裸監督」の中で村西とおるさんは、妻の不貞を目撃して、妻を殴り、相手の男を殴り、「何をやってるんだよ」と言って激昂した。「ドライブ・マイ・カー」では、西島秀俊さん演じる家福さんは、見て見ぬ、知らないふり、夫婦の間にはそんなことないこととして、その事実に蓋をした。

家福さんは、結局、他の男と寝る妻に、「どうしてそんなことをするのか」だとか、「別れたいのか」だとか、彼女の本音を聞くことなく、突然に彼女を失い、結果として彼女の死の責任を背負うことになる。

家福さんが、ドライバーのみさきが抱え続ける母に対する苦しみを和らげようと、伝えた言葉がとても印象的で胸が熱くなった。

生き残った者は、死んだ者のことを考えつづける……ぼくや君はそうやって生きて行かなくてはいけない

長く生きていれば、それだけ悔いることも苦しむことも、命をもって報いたくなることだってあるかもしれない。それでも、命あるものの勤めとして、志半ばでこの世を去っていった者たちの分まで、いっしょにに生きていかなければならないと深く考えさせられた。

瀬戸内の島にある宿泊施設と広島の平和公園にある国際会議場を、愛車の真っ赤なサーブで往復する車の中のシーン、窓越しに映る通り過ぎる風景にも引き込まれました。広島の日常の風景が世界の舞台で披露されたことは、すごく意味のあることのように感じました。

妻との最後の会話…西島秀俊×村上春樹『ドライブ・マイ・カー』予告編第2弾
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