前略 いつもカメラマンだったおじちゃん
映画「浅田家」を映画館で観た。
嵐の二宮和也さんと妻夫木聡さんの共演で
話題となっている作品だ。
二宮さん演じる浅田政志は、浅田家の次男として生まれ、
自由奔放な生き方をしている。
父親からカメラをもらったことをきっかけに、
カメラの世界に浸透していく。
政志の姿を見ていたら、小学生のころに
一眼レフカメラの魅力を教えてくれた
おじさんのことを思い出した。
当時はデジタルではなく、フィルム。
子どもがいないからか、休みになると連れられて出掛けた。
花見とは、釣りとか・・・。
そのたびに、引き伸ばした写真をくれていた。
ファインダーを覗きながら、僕らを撮っていたおじちゃんは、
どんなことを思って、シャッターを切っていたんだろう。
映画「浅田家」あらすじ
幼いころ、写真好きの父からカメラを譲ってもらった政志(二宮和也)は、
昔から写真を撮るのが大好きだった。
そんな彼が、家族全員を巻き込んで、消防士、レーサー、大食い選手権……。
それぞれが‟なりたかった職業”‟やってみたかったこと”をテーマにコスプレし、
その姿を撮影したユニークすぎる≪家族写真≫が、
なんと写真界の芥川賞・木村伊兵衛写真賞を受賞!
受賞をきっかけに日本中の家族から撮影依頼を受け、
写真家としてようやく軌道に乗り始めたとき、東日本大震災が起こる―。
かつて撮影した家族の安否を確かめるために向かった被災地で、
政志が目にしたのは、家族や家を失った人々の姿だった。
「家族ってなんだろう?」
「写真家の自分にできることは何だろう?」
シャッターを切ることができず、自問自答を繰り返す政志だったが、
ある時、津波で泥だらけになった写真を一枚一枚洗って、
家族の元に返すボランティア活動に励む人々と出会う。
彼らと共に≪写真洗浄≫を続け、そこで写真を見つけ
嬉しそうに帰っていく人々の笑顔に触れることで、
次第に≪写真の持つチカラ≫を信じられるようになる。
そんな時、一人の少女が現れる。
「私も家族写真を撮って欲しい!」
それは、津波で父親を失った少女の願いだった―。
引用 https://asadake.jp/story.html
政志の生き方に憧れる
映画「浅田家」は、家族の面倒くささを描いた作品だ。
浅田家の次男政志は、写真を撮るために、
家族や幼なじみなどたくさんの人を巻き込む。
そして、巻き込まれた人たちがみんな楽しんでいる。
正しくは嫌がっていない。
自分の思い描く写真を撮りたい、その一念しかない政志は、
周りのみんなの力を借りながら、写真との関わりを深めていく。
政志が持つ写真への純粋な思いが、みんなを動かす。
自分がやりたいことに素直に取り組み、
圧倒的な結果を出そうと努力する。
現代の生き方として、お手本のような生き方を
政志はしていると感じられた。
うらやましい…と思うかどうかは、
それぞれが持つ価値観だと思うが、
わたしは、うらやましい。
そして、政志の写真の素晴らしさは、
浅田政志の企画力だと知らされる。
命の限り家族で生きたいと思う
映画「浅田家」の中のエピソードで印象的だったのが、
病気と闘う息子を持つ家族の話しだった。
政志は、写真賞を獲った後、家族の写真を撮る旅を始める。
その中の一つに、病気と闘う息子を持つ家族の撮影があった。
命の期限が短い息子と家族写真を撮るのは、
親からすると残酷すぎるくらいにつらい。
息子との思い出を遺すために撮るようで。
どんな親でも胸の痛い決断だろう。
親の想いを汲むように、政志はベストの家族写真を
撮ろうと考え、撮影をする。
カメラのファインダーを覗きながら、
涙を流す二宮さんに多くの観客が
気持ちを持っていかれるだろう。
映画の中で何度か見せる政志の涙に、
きっと何度も何度も泣かされる。
二宮さんが見せるシーンごとの涙を
映画館で感じて欲しい。

引用 https://asadake.jp/index.html
1枚の写真に撮る人の存在を知る
部屋の片づけをしていると
懐かしい写真が出てくることがある。
その1枚1枚に撮った時の天気や出来事、
空気までもが記憶として残されている。
「この時はまだ独身か…若い」
「この後、●●と●●ちゃんは付き合い始めたよね?」
子どもの頃の家族写真に、父親がいない。
そのことを不思議に思う人もいるだろう。
結局のところ、父親は写真の中の被写体にはいないが、
そこにいなかったわけではない。
シャッターを切っているのが、
父親だから、写ってないのだ。
今だったら、iPhoneを片手に自撮りで
家族みんな引っ付いて写るんだろうけど、
スマホがカメラの役割を担う前の時代、
一眼レフカメラとか、インスタントカメラ、
写るんですなんかが主流だった時代、
父さんたちは、ファインダー越しに子どもの笑顔を
見て、自分の心に焼き付けていたに違いない。
1枚の写真には、写っている人と
その写真を撮った人の想いが収められている。
だから、父親が写っていないことを悲しんではいけない。
今見ている写真は、父親が見ていた景色なのだ。
父親はどんな気持ちでシャッターを押したのか、
想像すればいい。
【まとめ】写真が持つチカラを知る
映画「浅田家」は、笑いあり、涙ありのわかりやすい作品だ。
息子・弟に振り回される家族が、
コスプレして本気で家族写真を撮り続ける。
その真剣さが、おもしろさに変わり、笑いが止まらない。
浅田家の人々が愛おしく思える。
その後、東日本大震災後が政志の苦悩と共に描かれる。
写真を撮れなくなった政志は、
被災地で写真修復のボランティアに関わる。
そこで、被災した人たちと触れあう。
映画の中では、大津波のリアルな映像が流れ、
目を覆いたくなる。
津波は人も家も、思い出もすべてを流してしまった。
そんな中で、写真をキレイにして持ち主に返す活動が
行われていた。
そして、その写真に救われた人がいた。
その写真を遺影にした人もいた。
もう会えない大切な人とも、
写真の中でいっしょにいることができる。
この映画を観て、写真の持つ力を知った。
そして、家族の強さを知った。
1枚の写真と対峙したとき、
そこに写る人たちと同じくらいに
新たにその写真を撮った人へも
思いを馳せるようになるだろう。