前略 京アニアニメーターさま
映画「聲の形」がテレビ放送され、観ました。
「京アニクオリティー」に初めて触れ、
じわっと胸の奥に染みいってくる感覚に
気持ちが追いつかないままでいます。
映画「聲の形」あらすじ
「退屈すること」を何よりも嫌う少年、石田将也。
ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。
彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。
しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。
やがて、五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。
「ある出来事」以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。
これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語――。

転校生は「いじめ」に遭う
映画は静かな雰囲気を漂わせて、淡々と物語を紡いでいく。
小学生のころ、転校生が来る日が楽しみだったのは、
きっと誰もが持つ思い出の一つだろう。
わたしも転校生として東京から福岡へいった経験がある。
東京弁をしゃべることで、からかわれた。
知らないヤツだから、のけ者にされた。
人見知りなタイプではなかったので、
硝子のように無邪気に、すでに出来上がっていた輪の中に
土足で踏み込んでいたのかもしれない。
今ならそんなことも理解でき、輪への入り方も
きっと上手にできるだろう。
もう、大人だから。
調子に乗り過ぎてしまった将也は、
無邪気過ぎる硝子の穏やかさにいら立ちを覚え、
カラダだけでなく、ココロまでも傷つけてしまう。
ついには、硝子は生きるために逃げ出す。
人はやり直せる
見ている側は、いつでも正しさと正義を纏っている。
「将也は、悪い。酷いヤツだ」
「クラスメイトの直花やみきも自分を守る卑怯者だ」
そう思いながら、正義然とした気持ちで見ている人も多いだろう。
わたしもその1人だ。
でも、この作品が伝えたかったのは、
善悪を明らかにすることではない。
高校生になった将也は、自分の命の期限を決め、
自分の身の回りのことを整理していた。
その一つは、小学生のころに硝子の補聴器を壊し、
その弁償のために母が支払った百万円を越えるお金もあった。
そして、小学生のころに酷くいじめて、傷つけた
硝子本人への謝罪も考えていた。
自分が犯してしまった罪を受け入れ、
反省し、お詫びする。
小学生だった将也は、中学、高校と成長する中で、
自分自身が仲間外れのいじめに遭いながら、
人として、消化しなければいけないことにたどり着いた。
だから、偶然、硝子に出会ったとき、謝りたいと思った。
人は、やり直せる。
この作品が伝えたかったのは、
このことなのかなと感じた。
自分が持つ苦い思い出が蘇る
自分を守るために、長いものに巻かれることはよくある。
空気を読める者なら、多くの人がそうするだろう。
人は、流される生き物だ。
子どものころ、ガキ大将に立ち向かうよりも、
ガキ大将に取り入れ、その輪の中にいることで、
守ってもらうことを選んでいた。
ガキ大将が、泣かせと言えば、みんなで特定の人を
泣かしたこともある。
その当時、その行為には何の罪悪感も持たなかったのに、
作品を見て、走馬灯のように蘇ってきた。
仲間外れにされていた自分は、
輪の中に入れてもらおうと、
ガキ大将が言った通りにケンカをして、
ボコボコにされて、それを理由に、
相手の子は、他の奴らから泣かされた。
目を腫れし、傷だらけになった二人を残し、
奴らはその場を去って行った。
そして、二人は親友になった。
映画「聲の形」は大人に響く
昨年7月、京都アニメーションのスタジオ放火事件が起きた。
それにより、優秀なアニメーターが命を落とした。
#PrayForKyoani
国内はもちろん、海外からも哀悼の意がたくさん寄せられた。
わたし自身、京都アニメーションの作品を見たのは、
今回が初めてだった。
事件当時、作品へのインスピレーションと言うよりも、
エンタメを届ける人たちの発信の場を狙い、
夢と希望と命を奪ったことに悔しさを覚えた。
これまで、アニメ作品はいくつも観ているが、
「聲の形」は大人が心の奥深くを抉られる作品だ。
伏線と回収が続くストーリー展開や
映像と音の絶妙なバランス。
独特の世界観に引き込まれていった。
言葉を失ってしまった。
いじめ
障害者
自殺
重たいテーマを、丁寧に紐解いていく展開は、
自分の居場所を見渡し、自分が
どう生きていけばいいのかを考えさせてくれる。
ハッピーエンドと言えるようなエンディングでは
ないかもしれないが、命があって、人生が続けられれば、
人はやり直せる。
そこにチャレンジできる人生は、素晴らしい人生だと
考えさせてくれた心に残る映画だった。
京都アニメーションのみなさん、
素晴らしい作品に出会わせてくれて、
本当にありがとうございます。