前略 三島由紀夫様
館内のポスターに映る三島さんの熱量に圧倒され、気がついたら宣伝用のチラシを手にしていました。
1969年、わたしはまだ生まれていないので、当時の時代の空気を感じてはいません。それだけに、学生たちがなぜ立ち上がったのか、左派と右派であんなに激しく対立したのか、そのヒントを得たくて、映画館に行きました。
作品を見終えて思うのは、三島由紀夫のカリスマ性に引き込まれ、「言葉」が持つ力に圧倒されてしまったということです。
死をも覚悟した三島さんの若者を包み込むような優しさが、スクリーンを通して滲み出て、あなたの魅力に圧倒されてしまいました。
映画「三島由紀夫VS東大全共闘」あらすじ
時は1969年5月13日。東大駒場キャンパスの900番教室に、1000人を超える学生たちが集まり、稀代の天才作家の三島由紀夫を今か今かと待ち受けていた。旧体制変革のためには暴力も辞さない東大全共闘のメンバーが、首謀者の討論会の全貌が明かされる。
世界各国が政治の季節に突入していたこの頃、日本でも自分たちの手で国を変えようとする学生運動が激化していた。この年の1月には、安田講堂を占拠していた東大全共闘に対して機動隊が出動、ガレキと火炎瓶で迎え撃った学生たちが、機動隊の催涙弾と放水攻撃の前に「敗北する」という事件が起きていた。今の日本では想像もつかないほど、センセーショナルな嵐が吹き荒れていた時代なのだ。
そんな危険きわまりない若者たちが「三島を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる」と盛り上がり、異様なテンションが充満している敵地に、三島は警察が申し出た警護も断り、その身一つで「東大駒場キャンパス900番教室」に乗り込んで行った。
この頃の三島はノーベル文学賞の候補にもあがった世界的な文豪であると同時に、俳優、映画監督、舞台演出家としても活躍し、その一挙手一投足が常にメディアをにぎわせる、まさにカルチャー界のスーパースター的存在だった。一方で、肉体を鍛え上げ、民兵組織「楯の会」を率いる天皇主義者としても知られていた。
どこを切っても正反対、ベクトルは真逆の三島と東大全共闘。果たして、言葉の銃で撃ち合い、論理の剣で斬り合う、スリリングな討論アクションによる死闘の行方は―?
引用 https://gaga.ne.jp/mishimatodai/
哲学的な言い回しに??????の非難?
この映画の感想を観ていると、「難しい言葉ばかり使っていて、理解できなかった」「インテリがインテリぶって論じ合っているだけ」など案外と冷めた見方をしている人もいる。冒頭に出てくる「認識と行動の二元化」なんていう議題は確かにわかるようでわからない。
エンタメ映画作品として観た場合、観客側に寄せる演出が必要なのは当然で、観てもらわないことには映画として成立しない。この映画は、著名人や当時その場にいた生き証人たちのコメントが射しこまれていて、50年経った今しかつくることができないエンタメ映画作品になっていると私は感じた。
伝えたい情報があまりに膨大で、感情が高ぶりすぎ、何を言っているのかわからない学生もいるが、それが却ってその場の、その時代の空気として伝わり、さらに言えば、三島由紀夫の魅力を引き出していく。
勝つか、負けるか。
死ぬか、生きるか。
そんな緊張感で満たされた900番教室の空気を自分のものにしたのは、間違いなく「三島由紀夫」だったことがよくわかる。
翌年自決することを歴史として知っている私には、三島由紀夫がこの討論会の中で口にした身を引くことの美学にはっとさせられながらも、その決断に至った考えは何だったのかという疑問が新たに沸いてしまっている。
日本男児、三島由紀夫を知りたい

この映画を観るのは、三島由紀夫に詳しく、好きな人だけではない。稀代のスーパースターと注目された「三島由紀夫」ってどんな人なんだ、どんな言葉を発していたのか、知りたい…というミーハー的な興味を持っている人も少なくないだろう。私はまさにそれだ。
この作品はドキュメンタリー映画なので、三島さんが発した言葉の数々が、そのまま伝わってくる。でっかいスクリーンで観ていると、900番教室の中に自分もいるのではないかと錯覚してしまいそうになる瞬間に出くわす。
三島さんの言葉を必死に追いかけているうちに、言葉を突き詰めていく重要性を痛感させられる。
「言葉」にどれだけの力があるのか、他人の思想や行動を変えることができるのか、発せられる言葉の一つ一つにハラハラドキドキとしてしまう。
言葉は正確ではないが、「違法な行動を起こさざるを得ない状況になったら、警察に捕まる前に自決する」という意味の発言を三島さんはこの場で遺していた。
東出昌大のナレーションは秀逸
この映画のナレーションは、俳優の東出昌大さんが務めている。三島由紀夫作品が好きで、舞台でも演じたという。自身の不倫騒動の謝罪会見を、この映画のパネルの前で行ったので有名なことではある。(個人的にはその配慮が欠けた演出は、残念だったが・・・)
東出さんがラストのナレーションで、この東大駒場キャンパス900番教室に満たされたものを3つ上げている。
・熱
・敬意
・言葉
今、世界が新型コロナウイルスと闘っている。三島さんが生きた時代とは異なり、誰でも世界に向けて発信ができる時代になった。中には不安を煽ってしまうような発信もあり、そのいわゆるデマにより不安を助長し、過剰な買いだめなど誤った行動を促してしまう結果を招いているのも事実だ。
「言葉」にはそれだけの力がある。だからこそ、正しい思想のもと、発する必要があるし、その発信を拡げるなら、同じように正しさへの責任を伴うと思う。その情報を受け取る人に対する「敬意」がなくてはならないと感じる。
新型コロナウイルスが早く終息を迎えることを祈る。